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石見銀山遺跡とその文化的景観
概要
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)であり、大森銀山とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山と呼ばれていました。明治期以降は銅などの鉱物が主に採鉱されています。 日本を代表する鉱山遺跡として1969 年(昭和44年)に国によって史跡に指定。2007 年(平成19年)6 月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録されました。 一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされますが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されていた点が特に評価されています。 世界遺産登録基準における(ii)(iii)(v)の要件を満たしており、具体的な内容は次の通りです。
  • (ii)16~17世紀初頭の「大航海時代」には、石見銀山の銀生産は東アジア及び欧州の貿易国と日本との間における重要な商業的・文化的交流を生み出した。
  • (iii)日本の金属採掘と生産における技術的発展は、小規模な労働集約型経営に基づく優れた運営形態の進化をもたらし、それが採掘から精錬に至る技術の全体を包括するまでに至った。また、江戸時代の日本が政治・経済活動において諸外国と自由な関係を持たなかったことは、欧州の産業革命において発展を遂げた技術の導入を遅らせた。このことは、商業的に価値を持つ銀鉱石の枯渇と連動して、19 世紀後半には伝統的技術に基づくこの地域の鉱山活動を停止させ、結果的に豊富で良好な状態の下に考古学的遺跡を遺存させた。
  • (v)採掘から精錬に至る鉱山の遺跡、街道、港など、石見銀山遺跡において価値を損じることなく遺存してきた銀の鉱山経営に関わる豊富な痕跡は、今やその広い範囲が再び山林の景観に覆われてしまった。その結果、「残存する景観(relict landscape)」は銀生産に関わって長く人々が生活してきた集落などの「継続する景観(continuing landscape)」の地域を含み、顕著な普遍的価値を持つ歴史的土地利用の在り方を劇的に証明している。


銀山柵内
銀山柵内
本間歩
本間歩
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